ワタナベ書店

読んだ本の感想とか美味しかったお店の紹介とかLinuxの知見とか好きなことを好きなだけ書くブログです。

『お前が神を殺したいなら、とあなたは言った』群像劇、悲劇、陰謀、神学論争、シェイクスピア、殺伐百合、イケオジ、宗教とは何か。異端とは何か。そして、どうやって神は殺されたか。

領民たちは、諦めたことを怒るのではなく、諦めたことを諦めている。

 こうではなかったかもしれない人生など、彼らは考えることすらできない。考えると苦しいからではなく、考えることそのものを諦めたからだ。

 なぜなら彼らは、弱いから。弱者にとっては、自分自身の命すらも、その背中に背負いきれないような重荷だ。そんな重荷を背負ってよろめくように歩くのがやっとだし、もし途中でへたり込もうものなら二度と立ち上がれない。それが、弱者ということだ。

 あなたのような強い人間には、想像もできないかもしれない。だが俺にはわかる。なぜなら、俺も弱い人間だから。俺は少しばかり幸運だっただけの、弱くてちっぽけな男に過ぎない。あなたのような怒りは、俺のどこからも出てこない。


「でもね、やっぱそれって、世界の半分なんですよ。

 俺の故郷には、有名な劇作家がいましてね。こう、人を説得しなきゃいけないとき、俺はそいつが書いた台本から結構パクったっていうか、引用とかするんですが。

 その劇作家が書いた芝居に、正義のヒーローと悪徳商人が、こんな問答をするシーンがあるんですよ。

 ヒーローは悪徳商人に向かって、義憤を燃やしながら言います。

『憎けりゃ殺す、人間ってそんなものなのか?』って。

 で、悪徳商人は涼しい顔で答えるんです。

『憎けりゃ殺す、人間ってそんなものだろう?』」


 天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ


 天に自由を。

 地に希望を。

 あなたの魂に、平穏あれ。

お前が神を殺したいなら、とあなたは言った

もし、上で引用した文章にびびっときたそこのアナタ、「お前が神を殺したいなら、とあなたは言った」というネット小説を読みましょう。

完結してるよ!!!安心して最後まで読もうね!!!!!!

この記事は、「お前が神を殺したいなら、とあなたは言った」を布教する記事です。
Twitterでは定期的に布教してたわけですが、そろそろお前、長い文章も書いたほうが良いのでは?と脳内で小人がささやくわけで、布教記事書くことにしました。

どんなお話か

「ナオキ、君に神を殺してほしいんだ」

 現代日本新興宗教の教祖として生計を立てていた神城ナオキは死んだ。そして彼はその罪ゆえに、無限の地獄へと送られることになった。  だがなんの手違いか、はたまた陰謀か、彼は神々が実際に存在する異世界「エルマル」に送り込まれる。神とその神官たちが支配するこの世界において、神の加護も特殊な能力も持たぬまま、ただ「神を殺せ」という使命だけをその身に帯びて。

公式のあらすじから引用したとおり、日本で生きてた主人公ナオキが異世界転移して神様を殺そうとする話です。
群像劇仕様で、毎話ごとに語り手が変わり、ナオキが異世界の神を殺すまでが語られます。
しかし、この世界の神様、実際に力を持っていて、人が祈れば奇跡をお与えになるし、たまに人々に啓示をもたらす神様なのです。
もちろん、人々はそんな神様を絶対的に信じているし、それを支える宗教組織も盤石。そんな宗教の神をナオキはどうやって殺すのか---。
そんなストーリーをさまざまな人物の視点から語られていくというお話ですね。

登場人物達が魅力的で、ベテランで武闘派なイケオジと新人で優秀な少女の異端審問官のコンビ、頭でっかちで理論派な巨乳司祭、両刀使いで最強な女傭兵、厳格な領主、知謀をめぐらす伯爵などなど現れ、陰謀が、策略が、悲劇が、改革が、革命が語れていくわけで面白くないはずが無いです。

とりあえず4章「繊細の精神と幾何学の精神はいかにして協力体制を構築するのか」まで読んでください。主な登場人物が舞台に登場し、面白さがどんどん上がっていく章です。

異端とは何か

この小説、作者が公言しているとおり、キリスト教をベースにしている部分があり、異端とは何かという論争が作中で語られています。

少し前に、『神』は大規模で複雑な社会でお互いが協力するために発明された『道具』という研究発表が話題になりましたが、そもそも、お互いが協力するために発明された道具であるならば、同じ道具を使用しなければ意味がありません。

そこで問題になるのが異端という存在です。

異なる宗教とちゃんぽんしてしまった異端や、聖書の文章を誤って理解してしまった異端など種類はありますが、どれもお互いが協力していく上では障害になっていまう問題となります。

更には異端を信仰していた神官が行った洗礼や告解を受けた人々は正しくその宗教に所属できたと言えるのでしょうか。また、死後救われると言えるのでしょうか。 そもそも、それが発覚したのが数十年前でその間、神官が洗礼してきた人物は正しく死後救われるのか、その神官が任命した神官は? 信徒は? 死ぬ直前の告解をやり直せるわけは無いし・・・などなど異端が蔓延るとその被害とリカバリーにかなりのコストが発生するわけです。

この回答としてキリスト教フィレンツェ公会議(1439年)にて次のような回答を出しています。

「洗礼が効力をもつ根本理由は聖三位一体であり、外部にあって秘蹟を伝える司祭者は道具なのであるから、聖三位一体への呼びかけによって秘蹟は成就する」
「危急のさいにあっては、単に司祭または助祭が洗礼を施しうるだけでない。属人、女性、いな異教徒や異端でさえ、教会の定める言葉を用い、教会の為すところを為さんとするかぎり、同じく洗礼を施しうるのである」

要は、手順が教会公認であればどんな人が行った儀式も正しく儀式が実施されたとするよ。異端が行った儀式も手順が正しければ受けた人は正しく死後救われるし、その宗教に属するよ。と言っているわけです。
このように洗礼を実施する者を道具的存在として扱うことで異端による被害が最小限になります。
さすが、2000年生き残った宗教はツッコミに耐えられる強度あるなぁ。

この神学論争も作中に取り入れられ、重要なファクターとして設定されています。

けれどフランシス説の否定、つまり「司祭という地位にふさわしくないほど堕落した司祭が行った儀式には、神意が届いていない」ということになると、これは極めて危険な考え方だ。

 一見すると、この説は正しいように思える。青臭いけれど、筋は通っている、的な。

 でもこの説が正しいとすれば、「信徒に隠れて悪徳に耽っていた司祭」が為した洗礼や告解はすべて無効、ということになる。つまり、一瞬にして大量の「洗礼を受けていない、みなし異端者」ないし「告解せずに死んだ、迷える魂」が発生する。ここで発生する社会的混乱を修復できる可能性は、皆無だ。

ワクワクしません・・・?こんな宗教によって崇められている神を殺すわけですよ・・・?

人間の心理について

もう一つ面白い点として、群像劇としてさまざまな人物が登場するわけですが、その人物たちの人間らしい弱さです。
登場人物がある機能(「単純に主人公の障害となるべく執拗に邪魔をしていく、好きになれない性格のキャラ」、のような)のために存在しているわけでなく、それぞれ人間らしい悩みをかかえ、死にたくなったりしながらも、それでも生きています。
(そして、そこを突くのが主人公の唯一のチートでもあります。さすが、日本では新興宗教の教祖。人の弱み、わかってるぅ!)
なので、キャラクターがとても魅力的。好きな推しキャラが一人は見つかることを保証します。

こんなもんなんだよ、人間ってのは。心と体に染み付いた習慣ってのは、部屋に染み付いたタバコの匂いみたいなもんだ。そう簡単に変わったりはしないし、拭い去ることもできない。そして本人だけは、そのことに気づかない。

個人的な推しキャラはハルナ3級審問官です。

最後に

いろいろしつこく語りたいわけですけど、群像劇大好きで無限のリヴァイアス好きな同族がいたらおすすめしたい小説です。
最近のなろう小説、どれも同じだよなーってぼやいてる人がいたら後ろからこの小説のURLで殴り倒したいくらいなろうで異端の作品で、自分の性癖にクリーンヒットした小説ですので、読んでください。よろしくおねがいします。

以上、こんなこと言及されたので、いや、自分の布教で実際に1万pv目指す必要があるのでは・・・?と衝動的に書いた文章となります。

(特に引用指示の無い引用は「お前が神を殺したいなら、とあなたは言った」の文中から引用しています。気になるならぜひ読んでくれ・・・)